田舎でのチャイムの音って? 都会では聞きませんね。軌跡10

 

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

 

 

先週の友人の結婚式から戻ってきてから桃の摘花、リンゴの2年枝の花摘み、野菜の種まき準備と、忙しい最中のおぐらやま農場。

 

そんな中、息子ふうわがあちこち自分で這いつくばってどんどん行動範囲を広げているので、母ちゃんもなかなか目が離せない日々となっているようです。つい最近までは座らせておけば、その場から動かずに遊んでいたのですが、昨日ぐらいから座った状態からうつぶせに自分で体勢を変えて、どこへでも這いつくばっていきます。

 

そして手当たり次第拾っては口に持っていきますので油断なりません。畑でベビーカーにのせて、僕が仕事をしてる横に置いておくと、ふと見るとなにやら口をもぐもぐ言わせています。もう草が伸びてきていて、一生懸命手を伸ばしてぺんぺん草の頭をちぎっては、口に入れていました。そろそろ草刈もしなければね。

 

畑で仕事をしていると村の公民館から決まった時刻にチャイムが流れてきます。8時、これは学校でよくあるチャイムの音。さあ仕事時間ですよとの合図でしょうか。実際はこれより早く畑に出てる人が最近は多いです。

 

10時、ベートーヴェン作曲の歓びの歌。これはちょっと一服、お茶にしましょとの合図。11時半、これもチャイムの音。なぜこの時間に鳴らすのか、はじめはよくわからなかったんですが、最近この音が鳴るのを合図に畑の奥さん達が父さんより一足先に戻っていくのをみて、(もうすぐお昼だでご飯の準備をしにいきましょ)との合図だったのかと気づきました。

 

12時、これはお昼の合図。だいたい、どこの人たちもこの合図で家へ戻ってご飯にします。畑のきわに止めてある軽トラがサーッと引いていき12時半まで畑にいると人の気配がほとんどない一面に出会います。13時、これはサイレンみたいな音でなります。仕事始めの合図ですね。昼寝してても起きれるぐらいの大きい音。そして3時、なぜか山田耕作の「この道」がチョイスされています。「この道はいつかきた道、ああそうだよアカシアの花が咲いてる」これも一服、お茶しましょの合図。

 

安曇野は夕焼けが見えない?!

そして5時、「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る、お手手つないで皆帰ろ、からすと一緒に帰りましょ」のメロディーが流れます。冬場は日が早いのでこの合図で帰る人が多いようですが、最近はうんと日が長くなりました。5時のチャイムでは帰っていられません。

 

ところで「夕焼け小焼けで」といいましたが、実は私の畑のある三郷村小倉の西山山麓では(地元では安曇平の西側の北アルプスの山々を西山と呼び、美ヶ原・高ボッチ高原の方面の筑摩山地の方を東山と呼ぶ時が多い)めったに夕焼けを見ることができません。

 

夕焼けになる前に山に陽が沈んでしまうのです。ですから夕暮れの色はいつもあおむらさき。そして紺色にかわり、ゆっくりと夜の闇がやってくるのです。闇がくれば、我が家は坂道を登った高台にありますので、帰り道の窓から松本・豊科・穂高の街の灯が遠くでちかちかと光り、ちょっとしたノスタルジアのなかにいる自分を見つけたりします。

 

とまあ、そんな風に一日が過ぎてゆくわけですが、10時と3時に必ず一服する時間を取り、お茶飲んで、お菓子や漬物つまんで、相方と言葉交わして、といったことを回りもやってるし、僕もやってます。

 

チャイムの音で一日の時間を組み立てたり、流れをつくったりしているわけですね。陽のあるうちは野良に出て、暗くなれば帰りましょ。晴れているうちに仕事を進めて、雨が降ったら休みにしましょ。誰に言われたわけではないのですが、それが百姓の暮らしの基本のように思われます。でも作業が遅れてくると、雨の日でも合羽着てやったりになります。なかなか難しいものですね。

 

写真は桃の花満開の時。今はだいたい花びらは散り、実になる部分がぼんやりと膨らみ始めました。受粉したとの印ですね。それから今日でこちらはりんごの花が満開になりました。おおきな雪の塊がクリスマスツリーの飾りみたいになってりんごの樹についてます。ほんとに桃もリンゴも梨もきれいな花たちです。昨日、今日と気温が冷え込み、あまり蜂が飛ばなかったのが気がかりではありますが。それではみなさん、また来週まで、ごきげんよう。

 

この記事は、2002年4月26日にみなさまに送らせていただいたものです。ハイハイしていた息子も今は高校生です。

 

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