ワールドカップから学ぶプロの生き方 軌跡15
ワールドカップ観戦にて想うこと
皆さんこんにちは。日本全国すっかりワールドカップで盛り上がっていますが、私も昔からサッカーが好きだったんで(学生時代はずっとサッカー部だったんですよ)、テレビにかじりついて絶叫したり畳をバンバンたたいたりのエキサイト状態なモンですから、時々ふうわがビビッて泣き出したりする場面もあったりで大騒ぎであります。
今日も夕方は日本対チュニジア、夜は韓国対ポルトガルを見ていましたが、日本と韓国の、スタジアムでの応援の熱気が画面の中からこちらにも伝わってきて自分の方も熱くなるものがありますね。
出典:https://cyclestyle.net/article/2015/03/29/21279.html
アルゼンチンがグループリーグの最終戦でスウェーデンに負けて決勝トーナメントに進めなかった時の映像でアルゼンチンのストライカー、バティストゥータが目を真っ赤に腫らして泣き崩れている姿が写されました。どこのチームも国の代表と言う大きな期待を背負ってピッチに立っているのでしょうが、アルゼンチンの選手の言葉で「私達が一つ一つ勝つことによって、国の人たちが一つになれる、サッカーにはそういう力があるんだ」という意味のことをいってる人がいましたが政治・経済の面で大きな混乱の時代にあるアルゼンチンの選手達の言葉やプレーに僕は尊いものを感じました。
サッカープレーヤーという職業を選び、それに人生を賭け、国の人たちを勇気付けるためにも、勝利を目指して持てる力をぶつけ合っている男達。ホント身が震えるぐらい感動するシーンにいくつも出会いました。今日のポルトガル、二人退場になって、11人対9人でなおかつ勝たなければいけない状況になり、ものすごい運動量で韓国と対等に渡りあってました。最後の最後までゴールを目指し、何本もシュートがバーにあたったり、かすったりゴールキーパーがゴール前での1対1の大ピンチで何本も好セーブを連発したりと、バテバテの状況が画面から見て取れますが最後までゲームを投げないんですね。
スポーツマンのそういう生き方をこの機会によくみつめておきたいものだと思っております。
テレビのスポーツ中継は作り物でないので僕は好きです。そこがテレビドラマやワイドショーとまったくちがう点だと思っています。あとは世界中の国のいろんな状況を窺い知ることができるのもスポーツ国際大会の持つ側面ですね。その辺はまた次回にでも。
桃の袋掛けに、手植えでの田植え
さて季節は梅雨入り。今晩も雷と雨の夜となりました。梅雨までに桃とりんごの摘果をやっておこうとすすめてきましたがどうにかかたがつき、次は桃の袋かけと言う仕事があります。桃の実一つ一つに虫に吸われたり傷がつかないように、15センチ角ぐらいの袋をかけて行くのです。袋の中で約一ヶ月、どんどん桃の実は大きくなり袋をはずす時にはあっとびっくりと言うわけです。そのあともう一度りんごの摘果の見直しをしたら、桃は収穫が始まりますね。
それと6月2日の日曜日には地元の仲間達と田植えをしました。(写真)この地域に新しく就農した若い世代の仲間何人かでちょこっと田んぼを借りて米をやってるので私も仲間に入れてもらって早や3年目。田植えは昔ながらの手植えです。長靴脱いで泥の中にたつ感じがなんともいいんですよね。
去年はあまり草取りがうまくいかず、収量も予想より少なかったのですが今年こそはと、みんな結構気合はいってる感じ。もちろん私も。こういう交流の場があることでいろんな情報交換ができたり、仲間意識が育ってきたりと、自分にとっては貴重な時間だと思ってます。秋に稲刈りやってみたい人、もしいたらお返事を。10月の終わりぐらいかな。もちろん今年も鎌で手がりになると思いますが。
これは、2002年6月3日の記事です。あの時は、まだ1歳だった息子が、今では高校生になり一緒にサッカー観戦、評論しています。(テル)
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