自分の存在丸ごとを受け止めてくれたような気がしたのです。新米農業者に農機屋の立場で何かしら応援してやろうとの心が、「ちょっときいといてやるでしばらく待っておくんなし」というセリフになったんじゃないかなと思いました。
小さい時から台所をみせ、台所に立たせて子どもを育ててみようとの意見、おおいにうなずきました。包丁も「まだ小さいんだからアブナイ」といわず、練習させて使えるようにさせてあげようとか、そういうことで身体感覚の発達や、食べものの背景を少しずつ知っていくことで現実的な世界観も育ってきますし、台所に関わることで食べる意欲が育つとのこと。食べることへの意欲が育つことは、生きる意欲が育つことだと書かれていました。
食材も野菜中心になるので、肉、乳製品が減る傾向になります。そんな風に自分たちの「食べる」行為をどのようにプロデュースするかが今の僕達の楽しみの一つであります。体の調子は以前に比べてほんとに調子よく、時々飲むお酒でペースを崩すくらいでしょうか。
10時、ベートーヴェン作曲の歓びの歌。これはちょっと一服、お茶にしましょとの合図。11時半、これもチャイムの音。なぜこの時間に鳴らすのか、はじめはよくわからなかったんですが、最近この音が鳴るのを合図に畑の奥さん達が父さんより一足先に戻っていくのをみて、(もうすぐお昼だでご飯の準備をしにいきましょ)との合図だったのかと気づきました。
学生時代、牧場時代の友人達との久しぶりの再会。うちも含めて、子どものいる若夫婦世代も幾組か。久しぶりに目の前の仕事から離れて、自分のこれまで歩んできたバックグラウンドをみつめなおす機会ともなりました。新郎の古西君より、「まっちゃん、何か余興をやってね」といってもらい、詩の朗読を一篇と、これも私の25年来の悪友(?)花井君と一緒に唄を2曲歌わせていただきました。
学生時代、牧場時代の友人達との久しぶりの再会。うちも含めて、子どものいる若夫婦世代も幾組か。久しぶりに目の前の仕事から離れて、自分のこれまで歩んできたバックグラウンドをみつめなおす機会ともなりました。新郎の古西君より、「まっちゃん、何か余興をやってね」といってもらい、詩の朗読を一篇と、これも私の25年来の悪友(?)花井君と一緒に唄を2曲歌わせていただきました。
初めての農作業でなれない仕事でしょうのに、桃の植え替えだとか摘蕾、食事の準備やふうわの遊び相手までいろいろと手伝ってもらってますが若い人が「こんなことやってみたい」と感じてることに真っ直ぐに向かっていく姿はいいもんです。
いろんな人たちがおぐらやま農場にメールをくれたり、遊びに来たり、援農に来てもらったりしながら、そして時には自分達が直接食べる人のところへお届けにいったりしながら、農場の農産物を食べてくれるようになることが私の夢でもあります。
最初に地元紙の記事でそれを読んだ時は、うちの畑のすぐ近くだなあと思ったのですが、それから2日ほどして、私がその土地を借りている地主さんから電話があり、桃畑がそっくりハウス建設予定地に入っていることを知らされたのでした。
薪を割ったり、煙突を掃除したり、上手に点けないと部屋中煙だらけになったり、夜中にも温かさを維持するため、2、3回は起きて、薪をくべたり(今年は輝美が風和の授乳に起きた時にいれていました)と、そのことを維持するにはそれなりにやるべきことがあるのですが、それが暮らしと言うものではないかと思うのです。